ニューヨークの伝説的なレコード・ストアMusic Factoryを回顧する

2007年にFat Laceに掲載された記事の拙訳です。

 

最近のニューヨークへの旅行で、Flat Laceは、伝説のレコード・ストア『Music Factory』が位置していた場所を見つけに行くことにした。単純に懐郷の念に駆られたためである。記者のDan LargeとDrew Hugeが最後に訪れたのは15年前、タイムズ・スクウェアの再開発でMusic Factoryが閉店する1992年のことである。それが、より便利な音楽消費の方法に移り変わるために、レコード収集をやめる前の、聖地への最後の別れだった。

 

Music Factoryは、名高いUltimate Breaks & Beatsやその後のヒップホップの12インチシングルを販売していた店だった。他にも有名なレコード小売店『Downstairs Records』があったが、Music Factoryは取り分けニューヨークのヒップホップコミュニティに愛されていた。そのMusic Factoryの音楽的指導者である店員Stanley Platzerの役割は、月日を越えて頻繁にヒップホップの文献で語られている。今回、私達は2人のヒップホップ界の重要人物達に、彼と店の両方の重要性について追憶してもらった。

 

Aaron Fuchs, Tuff CityのCEO:
”私がLakim Shabazzのレコードを買ったのがここで、それは店内の壁に壁にかけてありました。Fat Stanley(Stanley Platzer)は、ヒップホップに精通していた。Mannieと呼ばれていたイスラエル人がオーナーでした。彼は典型的な商人で、レコード屋をやるまえは、その場所で家電製品を売っていた。Stanleyは耳の立つ男でした。ニューヨークは素晴らしい音楽の発展があった場所で、40年代のマンボ、50年代のR&B、70年代のソウルやファンク、Stanleyはそれらを経験していました。私が彼に「The RavensのWhite Christmasは持ってるか?」と尋ねたら、彼は知っていたのです。それは1953年以降流通していなかったのに。Music Factoryは、昔のエレクトロサウンドから脱却しつつあった西海岸のヒップホップも置いてありました。84年にはEazy EとStanleyが写った写真が飾られていました。N.W.AがNew Music Seminar(音楽フェス)のためにニューヨークへ来た際、ここに買い物に立ち寄ったのです。Stanleyは彼らに東海岸の音楽を教えたのです。”


Psycho Les, Beatnuts:
”私は86年から88年の間、Music FactoryでStanleyと一緒に働いていました。私は万引き防止で店内を周るだけでなくカウンターにも立っていましたので、色んな人々に、ヒップホップやブレイク・ビーツの質問を投げかけられました。DJ Red Alert、Chuck Chillout、De La SoulKeith Sweat、Ultramagnetic MC’s、Biz Markieらの会計をしたのを覚えています。店がタイムズ・スクウェアにあったので近くにラジオ局が沢山あり、彼らもよく店を訪れてくれました。そんなラジオ局のDJが私に音楽の仕事を与えてくれたのです。”

 

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