DJプリミア、D&Dスタジオでの最後の日に思いを寄せる。

2015年1月にovserverに掲載された、DJプリミアのD&Dスタジオを思い返すインタビューの拙訳です。元の記事には、スタジオ内やプリミアの手の甲に残る歯型など素晴らしい写真が掲載されていますので合わせてお楽しみください。

 

observer.com

 

 

DJプリミアは、ミキシング卓とビートマシンの間の壁に貼られたギャング・スターの歌詞が書かれた5枚の紙を指差す。ナズが彼に「なぁ、もしあなたがここから引っ越すことになった時、それをひとつひとつ破って剥がすつもりか?」と言った夜の事を思い出させる。

約25年後、320西37番通りの4階にある象徴的なD&Dスタジオはその役目を終えようとしている。ラキム、KRS-One、Jay Z、ナズ、そしてギャング・スターがヒップホップの伝説的な曲をいくつも録ったスタジオは、2015年にビルのオーナーの意向で閉鎖されようとしている。

スタジオを最初に経営していたダグラス・グラマとデイビッド・ロットウィンから2003年に買い取り、それを古い友人のケネス“HeadQCourterz”ウォーカー(2002年に殺害された)にちなんでHeadQCourterzと名付けた。DJプリミアはそれがニューヨークのヒップホップの重要な期間の終わりと、彼のキャリアの新たな段階の始まりだったと見ている。

ベテランビートメーカーのD&Dでの最初の仕事は、彼の親密な友人であり音楽のパートナーでもあるグールーとのギャング・スターサード・アルバム『デイリー・オペレーション』だった。それから、何百もの既に名の売れたアーティストや新進気鋭のアーティスト達、ビギー・スモールズやビッグLからフォクシー・ブラウンやクリスティーナ・アギレラまでがブレミアのスタジオのボーカルブースを使った。

「最初はDITCのショウビズが俺をここに連れてきてくれた」48歳になるDJプリミアは金曜の夜、そのでスタジオでObserver(取材したサイト)に語った。「ショウビズはロード・フィネス『リターン・オブ・ザ・ファンキー・マン』のリミックスしていて、俺にその曲のスクラッチを頼んできた。その曲のファイナルミックスをもらって、車で聴いて、このスタジオでデイリー・オペレーションを録らなきゃなって思ったんだ」

「それは忘れられない瞬間だよ」彼はいつも通りに頭を前後に頷きながら加える。「とても大きな思い出がつまってる」

プリミアrは、1月7日までに防音設備と壁に埋め込まれたスピーカーを外し、設備と家具と何百ものレコードをロング・アイランドのカウフマン・アストリア・スタジオに運ぶ予定だと言う。歌詞を綴った黄色の紙が貼られた壁は、新しいスタジオのテーブルになる予定だ、と。

"地獄の厨房"からの引っ越しは、グラミー賞受賞歴のあるDJにとってほろ苦いものである。Jay Zはプリミアに一度、D&Dでの撮影の夜の後に、何も変えないようにと言った。スタジオには、2010年にガンで亡くなったキース・エドワード・エラムもといグールーとの数え切れない思い出ある。近所には、は街頭も歩行者も今より少なかった90年代からプリミアがコーヒーや軽食を買いに行った地元のデリ(惣菜屋)がある。そのデリもD&Dと同様、経営難に耐え名前も変わったが、閉店することはなかった。

「マンハッタンには長くいる。どんどん気味が悪くなっていっている」プリミアは言う。「それに引き換えカウフマンでは、腕を広げて俺を歓迎してくれた。個人的な部分はより良くなる。あなたはそこに行くために実際の門をくぐる必要がある。ここの人々は呼び鈴を鳴らすだけで、いつでもすぐに出て来る。俺は絶対にあれを懐かしんだりしないだろうな」

今月、プリミアとロイス・ダ・5’9”は、プリミアでの最後の録音となったプライムを発表した。現在、スタジオの残した遺産とBルームでPremierのプロデュース、ミキシング、ビートジャグリングに費やした数え切れない時間についてのドキュメンタリーが製作中である。その前に、80年代の終わりにブルックリンに越してきたヒューストン生まれのプリミアは、クラシックのレコーディング、殴り合いの喧嘩、狂いきった夜を経て、繁栄したD&Dの真相を伝えてくれた。

 

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-----現在のお気持ちは?

 

プリミア:私の膨大なキャリアの大半をここで積み重ねた。新しい大家が来たこの状況下で、それが終わろうとしている。賃貸契約が存続を少し難しくしているんだ。最悪なのは、賃貸契約を一方的に終わらせる条項のある2年契約にサインしたことだ。オーナーがビルの改築を決めた場合、立ち退かざるをえない。何回か大家の交代を経験したが、変わったときはいつも「調子はどうです?私達が新しい大家です。家賃は払ってくださいね」って言っていた。過去には、俺達が改装を必要とするならば援助をすると申し出てくれた大家もいた。俺は「よう、もし不便な部分があっても、俺達はずっとここに居た、不便とも慣れっこだよ」って言ったよ。

 

-----D&Dを開業した時の隣人はどんな感じでしたか?

 

その時は、殆どの人がここに2度訪れるのを怖がったよ。ラッパー達がここに来るのを恐れていた。近所ではヘロインやクラックが蔓延していたし、街灯も無かった。9番通りにデリ(惣菜屋)があるが、みんな、未だにそれをクラック・デリって読んでる。けど、今のここは完全に別世界だよ。

 

-----90年代の初めと中期、スタジオの中はどんな感じでしたか?
その当時、ブラック・ムーンとブート・キャンプ・クリックの連中がD&DのAルームに大事な時期を過ごしいた。ずっと居たよ。Jay Zも。彼が部屋を予約する時は、Aルームと後になって建て増しした奥のDルームを抑えていた。一度に3,4曲を仕上げるために閉じこもってた。ジェイとビギーがここでリーズナブル・ダウトのブルックリンズ・ファイネストを録ったのを覚えてるよ。あのビートを作ったのは俺じゃないが、彼らは録る場所を必要としてた。

 

-----スタジオの外では誰とツルんでいたいましたか?

 

グールーと俺はブルックリンのクリントンヒルに家を持っていて、ここに居ない時はそこでワイルドなパーティを開いたものだよ。まるで男子寮だったな。誰か来た時はいつもうるさくて、女の子がいて、飲み物も食べる物も沢山あった。ウータンのRZAにGZAが来てたな。イージー・モー・ビーにスペシャルED…挙げだしたらキリがない。サイプレス・ヒルが「ハウ・アイ・クッド・ジャスト・キル・ア・マン」のビデオ撮影の時にウチに来てた。くつろぐ場所が必要だったんだ。彼らは、ビデオ撮影でアイス・キューブに会いに行くその時まで、ずっと俺達のマリワナを吸ってた。金曜の夜はよく、3区画しか離れてない所に住んでたビギーがウチに来て、グールーと俺と三人で吹かしたものだ。

 

-----今年の初め、あなたはHip-Hop Wiredに、映画『ホワイト・メン・キャント・ジャンプ』用の楽曲を制作する際、ここでグールーと取っ組み合いの喧嘩をした後すぐに作業に取り掛かったと語っていましたが、これは本当の話なんですか?

 

グールーは、その後、あざが出来てて包帯を巻いた。俺にはアイツの歯型がここに、まだ残ってる(拳を指差して)。これはグールーが噛んだ場所だよ。消えないんだ。今は、この歯型を誇りに思う。俺はタフ・ガイじゃないが、必要とあらば相手を投げ飛ばすよ。

 

-----そのような関係が、化学反応を引き起こしたんでしょうね。あなたとグールーが喧嘩することは、普通の事だったんでしょうか?

 

いつも喧嘩していた。その後、すぐに「 I love you.」って感じだよ。そう言うことに躊躇いはない。生き別れた兄弟みたいにハグして、奴は決まって「なぁ、今晩、出かけよう」って言うんだ。アイツは酒と女を追っかけるのが大好きだった。それが仕事と音楽を離れた時のグールーの姿さ。全ての喧嘩を通して、お互いに活気づけあって、それが音楽への肥やしになっていった。俺達が作ったいくつものアルバムを見てくれよ。『ノー・モア・ナイス・ガイ』の頃から喧嘩ばかりだったな。

 

-----多くの場合、どちらが仕掛けるんですか?

 

グールーさ。俺は、ふっかけないよ。いっつもグールー。アイツが酔っ払って、ふっかけてくる。俺達は1989年から1993年まで一緒に住んでて、喧嘩は日常茶飯事だった。けど、奴は今も兄弟みたいなものだよ、永遠に、いつでも。俺達は、完全にロックンロールのような生活っぷりだったけど、成功が伸び続ける事はなかった。何年も、ギャング・スターの売上は下がらなかったし、作品も高水準を保っていた。

 

-----ギャング・スターとは全く異なるものとして、あなたは2006年にクリスティーナ・アギレラの5枚目のアルバム『バック・トゥ・ベイシックス』を共同制作しましたが、彼女はレコーディングのためにここを訪れたのですか?

 

来たよ。彼女はここでアルバムの曲を録りはじめた。他の曲は、カニエ・ウェストに連れられて俺達がレコード・プラント(LAにあるレコーディング・スタジオ)とカリス(LAにあるレコーディング・スタジオ)に出向いて録った。カリスで部屋を借りて、結局、あの部屋に惚れちまったよ。クリスティーナは最初、音が変わるんじゃないかと心配していたけど、俺は全く慌てなかった。俺達は同じ設備を使っていたし、DJとして、既に物事への対処法を心得ていた。

 

-----ナズはあなたに「ここを離れるなら、スタジオを分解する必要がある」と言ったそうですが、計画はありますか?

 

丁度、月曜にナズがここに来て、また同じことを言ったよ。手始めに、ドアを取り外すつもりだ。90年代に俺が初めてAルームからBルームに移動した時、みんなノックしてきたこのドアを。そしてあれだ(ギャング・スターの歌詞が貼られた木の壁を指差して)、あれを切り取ってテーブルにするつもりだよ。あれは、グールーと俺がやった最後の曲の歌詞の抜粋だ。D&Dが廃業した2003年、俺はその約一年後にここを再び開いた。あの歌詞はその頃から壁に貼ってある。D&Dはダグ&デイヴのこと、彼らもこの場所を守りたがっていた。一度、閉鎖されたが、まだ俺達が来れるよう開かれた。このことをビデオに録画するたびにまた来るよ。

 

-----あなたとナズは、コラボレーション・アルバムを製作する予定があるとの噂されていますが、いつ頃、実現しそうですか?

 

ナズが準備出来次第だな。1年前に取り掛かろうとしたが、出来なかった。ナズはデフ・ジャムでもう一枚アルバムを出す契約があるから、それを全うする必要がある。ナズが終わり次第、すぐだな。俺はもう準備できてる。

 

-----今月の初旬、デトロイトのロイス・ダ・5’9”とのグループ『プライム』のアルバムをリリースされましたね。プライムの次回作の予定は決まっていますか?

 

あのアルバムは、とても良くできたよ。全ての曲のビデオを録る事が決まっていて、2月からそれに取り掛かるつもりだ。また、3曲か4曲を追加したデラックス・バージョンのリリースの予定もある。それに携わる人の名前を全て挙げられないが、1曲はMFドゥームが関わってる。45インチのボックスセットとデジタルでリリースされる。

 

-----あなたは1月中にクイーンズのスタジオへ引っ越すそうですが、ファンは、引越し後にあなたの作る音の変化を、期待すべきですか?

 

今後も変わらず、ヒップホップのプロジェクトとそこから広がっていく音楽を制作するつもりだ。カウフマンでは映像関係の仕事を多くやっているようだ。オレンジ・イズ・ニュー・ブラック(ドラマ)やグッド・フェラズ(映画)、コスビー・ショー(コメディ番組)の全てのエピソードといったもの。だから、自分が映像作品にも関わっていくことが可能だろう。やりたかったことなんだ。今までも大分稼いできたが、更に大きな仕事に挑戦したいんだよ。ダニー・エルフマン(ロックバンドのリーダーとして成功してから、ティム・バートンの映画の音楽を手がけるに至った作曲家)のレベルに達したいな。

 

-----最近は、どんな音楽を聴かれていますか?

 

Jコール、ディアンジェロの新譜、ゴーストフェイスの新譜、プリンスの新譜、フー・ファイターズソニック・ハイウェイ』、AC/DC『ロック・オア・バスト』。そんなところだな。

 

-----ヒップホップにおいてあなたの好きな年を3つお願いします。

 

98年と86年、そして俺が高校を卒業した84年。

 

-----過去20数年で、何度インタビューを受けましたか?

 

よう、数えてすらいないよ。俺が出したレコードの数と同じだけだな。幾千ものレコードを出して、幾千ものインタビューを受けた。ここでな。


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夜、スタジオを後にするプレミアを、息子を連れたスーツ姿の男が待っていた。
その男が「プリーム、私の息子と一枚写真を撮ってもらえませんか?コイツはあなたの大ファンなんです」とお願いしている。
既に、シリウスでの2時間のショーへの出演に間に合いそうに無かったが、プレミアは何の躊躇いもなく、慣れたように撮影に応じた。