“Music Is My Character”: K-Def 和訳

主に、K-Defの2011年にリリースされたインストアルバム"Night Shift"の当時を語るインタビュー形式の記事の拙訳です。

参照元

medium.com

“Music Is My Character”: K-Def
Night Shiftの制作過程を分析

ベテランプロデューサーはJay-ZのリミックスコンテストからRedefinition Recrds設立までの彼の経験を紐解く。

Lords of The Undergroundの"Chief Rocka"や"Funky Child"、Dr. Dre Presents the Aftermathにてサンプリングされた"Real Live Shit"をはじめとする影響力のある作品を連発した90年代を過ごした後、ニュージャージー出身のK-Defは1997年から2001年の間、音楽産業から遠のいていた。2000年代半ばの復活は、GhostfaceとJayo Felonyへの共演作へと繋がった。しかし、外部の境遇がラップ界からの暫くの離脱を齎した。

2007年に、彼がJay-ZのAmerican Gangsterを聞く時まで、そのベテランプロデューサーはそのスタイルがまだ音楽産業において通用するか、既に過去の物となってしまったのではないか、と自問自答していた。いちかばちか、その答えを知るためにJay-Zのアルバムのリミックスコンテストに応募することに決める。「私は身近な者達に言ったんだ。『見とけよ。やってみるがこれで何も感じなかったら、音楽はスッパリやめる。』と。」彼はみんなを驚かせた。彼のリミックスはトップ5の最終選考に残り、西海岸、ロンドン、日本のアーティストから高評価を得た。

Jay-Zのリミックスコンテストでの経験が彼に新しい活気を与えたが、それまでのラッパー達との宣伝活動に多くの時間を費やし、アルバムの総指揮に試行錯誤することにウンザリしていた。そして、彼はまたプロデューサーとしての存在感を知らしめるために、伝統的なサンプリングとスタジオで培った経験を活かす方向性への覚悟をつける。「この20年間は、機材や巨大なスタジオを扱う、厳しい機械のような男だった。」と自分を説明する。「私には、エンジニアとして培った力で、どんな音が鳴るかを感じ取れる基礎がある。」

20年にも及ぶスタジオの扱いによって熟達した経験で、K-Defは自らの知識を最新のテクノロジーにも応用していった。「年を取るにつれ、Cubase(スタインバーグ社のミュージックシーケンサー)と恋に落ちていった。」Cubaseは彼のお気に入りのままである。プロデューサーの創造性を実現する新しいツールが出ると何でも挑戦することに、K-Defにはプライドを感じている。「これからも、新しいものが出れば何でも試すつもりです。もし、自分が気に入れば、それを使うでしょう。そうでなければ、ゴミ箱に捨てます。」

エンジニアとしての技術と専門的な知識が合わさった、レコードのそれぞれのパートを部分的にサンプリングする能力によって、驚くべき量の楽器のサンプル素材のライブラリーを築いた。「私には、2000年代初期から集め始め4テラバイトにも及ぶ、きっとあなたも欲しがるであろう、素晴らしい楽器のサンプル素材があります。」

技術的な腕を鍛え、音楽のライブラリーを築き、2006年から2010年の間に素晴らしいインストアルバムを複数、世に出してきた成果が最終的にRedefinition Recordsとの関係に繋がるのである。このレーベルで10作以上をリリースしてきたが、レーベルでのデビュー作品、2011年のNight Shiftは彼にとって未だに特別な作品である。音楽的な質と、個人的な裁判と、また別の苦難で、彼は創作活動で困難を極めることになる。「その時期に、私は兄弟を失いました。私の母は、彼の死で酷く落胆し疲れ果て最終的に病気を患いました。あの頃は、明日がどうなるか全く分からない状況でした。私にとって母もまた大切な人なのですから。」

また、Night Shiftのトラックの多くで薄暗い雰囲気を感じるのは、アルバムが出来上がった背景が影響している。「アルバムの大半を屋外で制作しました。夏、冬、秋の事です。私はよくバルコニーにノートPCとヘッドフォンを持ち出してそこでタバコを吹かしながら作業していました。日が暮れ肌寒くなってくると、家の中では吸えないので、外でタバコを吸います。それが暗さの要素でした。」

K-Defにとって、その事が、人生で経験したすることの反射がアルバムになるのだと理解した。「音楽が私の個性です。感情的に経験したり、感じたり、考えたりしている物はいつでも、私の音楽に現れます。」

Night Shiftの大半はインストであるが、アルバムの序曲"Escapizm"(K-Defが敬意を払うことを惜しまないPete Rock & CL Smoothの楽曲"Escape"のカバー曲)では、その楽曲を制作している事を知ったRob-O(Pete Rockと長い間、共同制作していたラッパー)がラップを加える機会に恵まれる。「私自身、Pete RockとRob-Oの作品が大好きでした。Rob-Oからアルバムに参加したいとの申し出があった時に、既にライムを書いていたなんて知りませんでした。しかし、それが素晴らしくて、アルバム全体の雰囲気に見事に合っていたのです。」

"Escapizm"での、彼の誇りをかけた挑戦は、Pete Rockの天才的な原作を想像させてしまわないようにすることだった。「オリジナルの"Escape"は誰にも触れられない高みにあります。どうやってあのハイハットを鳴らしたのか、どのようにBretheren "Outside Love"のドラムにフィルターをかければあの音が鳴るのか、どうすればあの風合いを醸し出せるのか。」

プロデューサーは何人たりとも困難なジレンマから逃れられない。K-Defはサンプリング素材に手を加える新しい方法を見つけるために、深く掘り下げた。「私はトリックを超えたトリックを使います。あなたが入念に聴いたレコードでも、部分的に再生させる事ができます。フィルターは使いません。普段通り再生しつつ、しかしホーンだけ取り除いて再生することができる。もちろんステレオで。」彼は、元のサンプルに新しい手触りと活気を与えることができるという能力は、やはりエンジニアとしての経験から来るものだとしている。「私には他の誰にもできない事ができる。」

K-Defの個人的なお気に入りは"Supa Heath"と、Raw Poeticのラップがのった"Night Owls"、もしくは"Bird Flying High"だと言う。彼は、Night Shiftはドライブ中に聴くことを勧めている。そしてNight Shiftからのリリースは2桁にも及ぶが、まだゆっくり休憩するつもりはないようだ。「永遠に終わることはない。創造性と着想は無限にある。私達の周りのテクノロジーに関しても。」

ニュージャージー生まれのこのプロデューサーはシーンを25年以上見てきたが、未だ音楽への活気と熱意は、始めたころと変わらない。「年はとったが、自分の魂には若さを感じている。」と彼は語る。

Artifacts - Between a Rock And A Hard Place アルバムレビュー和訳

The Source誌1994年9月号に載ったArtifactsのデビュー作Between a Rock And A Hard Placeの拙訳です。歌詞引用の部分を省略しまたこと、ご容赦ください。

 

参照元

hiphop-thegoldenera.blogspot.jp

 

もしあなたが、ヒップホップの中でも特にブーンバップに目がないタイプなら、このArtifactsのアルバムは、7.99ドルに見合う価値があるだろう。これまでArtifactsは、Tri-State Area(ニューヨーク州ニュージャージー州コネティカット州)のラジオコミュニティの外では、殆ど知られていなかった。去年のNubian Crackersのシングル"Do You Wanna Hear It?"での客演で、Tri-State Area以外のリスナーにも認知されはじめ、今に至る。

ヒップホップの6つ目の自治区ニュージャージー州ニューアークから舞い降りたTame Oneと彼のパートナーEl Da Senseiは、押韻とグラフィティの世界で、並々ならぬ才能を発揮していた。ライミング技術は特筆すべきものがあるが、主題は普段のbitch-baiting、大麻をくゆらせる事など有り触れた話題である。が、しかし、彼らのラップによって曲は今までに聞いたことないようなものになっている。加えてBuck-Wild、T-Ray、Redmanらによるミックスプロダクションよって、このアルバムが音楽的にも詩的にも革新性で満たされていることは言うまでもない。

先行シングル"Wrong Side Of The Tracks"でTame Oneは「深い闇のように黒さは、カバンに詰めたMagnum(油性ペンの銘柄であり、銃のことではない)のよう」と自身を説明しつつ、グラフィティの世界をラップしている。今日の多くのMC達が、作品を支える素晴らしいプロダクションに恵まれながらそれを活かせていないが、Artifactsはどんなトラックでも雰囲気を掴み、しっかり噛み合う詞をラップしている。T-Rayがプロデュースした"Dynamic Soul"では(歌詞、中略)

NasやJeru The Damajaのシーンを賑わせるリリースに囲まれたさなかであるが、Artifactsの"Between A Rock And A Hard Place"を手にとってみてはどうか。ArtifactsがAirport '76よりもリスペクトを得ることに成功するのと同様に少しのガッカリがあるが。

MF Doom インタビュー 和訳 (4080 Magazine 1994年)

1994年に4080 Magazine誌に掲載されたZev Love X(MF Doom)のインタビューの拙訳です。この年に発売される予定であったBlack Bastardsについて言及されていますが、発売中止に関することには触れられていないので、レーベルによる発売中止が決定される前の段階のインタビューなのでしょう。

 

参照元

hiphop-thegoldenera.blogspot.jp

 

去年の春、ニューヨークに拠点を置くKMDのメンバーSubrocの死にファン達は驚き悲しんだ。Subrocが死んだ時、彼の兄弟Zev Love Xはセカンドアルバム"Black Bastard"の最後の処理を終えたところであった。しかし、それから早くも1年が過ぎ、現在、アルバムは発売間近である。私は今、インタビューするためにElektraの会議室でZev Love X(Doomとしても知られている)を待っている。彼は二人の取り巻きと、40oz(ビール、Old Englishという銘柄の40オンス瓶)を携えて定刻通りに現れた。彼はインタビューに答えるのは、前作"Mr. Hood."以降、初めてだと語った。大麻を吸ってハイになっているように見えたが、少し緊張しつつもインタビューを精力的に受ける姿勢を感じた。

私達は、1990年のデビュー以来、KMDの辿った劇的な変化についての話し合いを始めた。最初、K.M.D.(Kausing Much Damagedの頭文字)は3rd Bassファミリーの一部で、荒廃した社会(much damaged society)のストロングアイランド出身の3人組グループであった。彼らは、5パーセンターの同志、Brand Nubian同様の革新的なジャズ/ファンクのトラックを特色とし、"Peachfuzz"、"Who Me"、"Nitty Gritty"はヘッズの頭を揺さぶり、アンダーグラウンド的な人気を博していた。が、オリジナルメンバーの一人Onyxは既にグループを脱退していた。私はDoomにOnyxと何があったのかを尋ねると、彼はその話題には口を閉ざしたが、笑いつつ「所謂、方向性の違いだよ。」と答えてくれた。

Subrocの死に話題を移すと、彼は不快な素振りこそ見せず「Subrocは車に跳ねられたんだ。事故が起きた時には一緒ではなかった。」と語ってくれた。Subrocの死までにどれくらいアルバムが完成していたのか尋ねると「最後の2曲のミックスが残っていた。その内の一つ"Constipated Monkey"は、Subrocのヴォーカルを録っている最中だったように思う。その曲にはSubrocのヴァースが部分的に入っている。作業は大詰めに入っていたから、アルバムの制作が中断されることはなかった。」と語った。

私は更に質問を重ねた。Subrocの死によってアルバムをリリースするか否かを考えたことは?「いや…今はすぐに出したい。この気持が正しく伝わって欲しいが…このアルバムの制作に2年以上、専念してきた。だから、今は発売されるのを喜ばしく思っている。」

"Black Bastard"は歌詞執筆、楽曲制作、アレンジ、ミックスの全てがDoomとSubrocによるものである。Black Bastardは疑う余地なく、ファーストアルバムを上回る出来に仕上がっている。新作のコンセプトは、Gylan Kainの最新のどんよりした詩のアルバム"Blue Guerilla"から拝借されている。KMDは、この作品から多数のヴォーカルと根本的方針をサンプリングした。Doomは「"Blue Guerilla"を聞いた時に、是非、自分の作品に取り込みたいと思った。この作品は私の目を見開かせた。この作品は地獄のようにリアルだった。この男がBlack Bastards「黒い馬鹿野郎達」と言った。白か黒のどちらかに合わせようとする黒人の事だ。自らの家系を受け入れない人々。それらが馬鹿野郎達。大体の人々は常に間に入ろうとしている。黒人と白人は、私達は誰なのか、私達は最初何だったのか、それらを悟りさえすれば一緒に寄り添うことができる。」

それらの説明から私は、Doomが沢山の考えをこのアルバムに込めた事を理解した。早いビートの上でヴォイスサンプルがコラージュされた"Garbage Day 3"。この曲に関してZevはこう語る。「この曲にはSubrocが出て来る。2枚のアルバムの間の3年間の考えだ。今日までの全ての年が象徴的だった。全て、私達がどんなクソみたいな日々を過ごしてきたかを説明している。クソ野郎が…。」

"What a N**** Know" や "Sweet Premium"といった酒に酔うこと関した曲もある。私はワインを飲むこととビールを飲むことで違いがあるのか尋ねた。「Old English(前述のビール)は濃くて最高だ、メーカーが何を入れてるのか知らないが。Kosher wine(ワインの銘柄)は少なくとも蒸留されてるだろ?飲めば分かるさ。」酒を置いて彼は大麻を吸うことについて話し始めた。実際、"Smokin' That Shit"、"Contact Blitt"、"Suspended Animation"の3曲は、大麻への熱愛を歌っている。

彼は言う。「"Contact Blitt"は実際にカリフォルニアツアーの時にあった話だ。俺達はDe La SoulのツアーにBrand NubianとLeaders Of New Schoolと一緒に参加していた。バスの車内が煙たすぎて運転手はそれ以上運転できないといって、運転を拒否してきたから、500ドルのチップを払って次の目的地まで運転してもらったんだ。曲を聞いてくれれば分かるが、その事が元となってできた曲なんだ。今、思い出して悪かったなって思えてきたな。」

Doom大麻を吸うことで緊張がほぐれ、ライミングするときにラップに集中できると語る。「吸ってみたらどうだ?気分を良くするために手段なんて、そんなにないだろう?毎日のストレスに対して、自分を高めておくための手段。」

Doomは話すのを終え5分前に火を点けたタバコの煙をグッと吸い込んだ。彼曰く「タバコは厄介だよ。みんな、吸うのをやめてくれと言う。」私がタバコを吸う理由を尋ねると、タバコを一旦置き「分からない。タバコが厄介だからだよ。悪い癖なんだ。奴らは黒人にNewport(タバコの銘柄)を売って、黒人はその罠に引っかかる。ニコチンはストレスを払ってくれるけれど、本当に厄介だ。」

Doomがタバコを消すと、取り巻きがブラントを巻き始めた。インタビューの時間が終わりかけていたので、止めはしなかった。

 

Raw Breed / Killa Instinct 内ジャケの解説の和訳

アルバムがお蔵入りになってから20年たった2017年、インディペンデントレーベルながら正規リリースに至った Raw Breed の セカンドアルバム Killa Instinct のアルバム内のライナーノーツを和訳しました。アルバムがお蔵入り当時の事が、 Dust & Dope Recordings 関係者の Jee Van Creef という方によって解説されております。新作アルバムについても言及されており、完成する日が楽しみです。

 

1993年、メジャーレーベルのワーナーブラザーズ(以下、ワーナー)と契約したブロンクスの3人組ラップグループ Raw Breed。Drama (別名:Marc Rippin')、Bazaro (別名:Alaxander The Great)、And Burna (別名:Nick Swift) 達は2枚目のアルバム“Killa Instinct”の制作のためににハードワークをこなしていた。彼らのデビューアルバム“Lune Tunz”はインディレーベルながらカルト的人気を博し、ハードコアヘッズ達はさらなる作品を望んでいた。ワーナーは当初、ファンの期待に答えるために、15人のスタッフでチームを組み制作に意気込みを見せていた。シングルカットした“That's My N****”、“Carlito's Way”の2作に加えB面に収録された“Mouth Of Madness”がアンダーグラウンドヘッズに好評で、来る“Killa Instinct”への期待は高まるばかりであった。また、その段階でシングル2作品ののミュージックビデオの制作も決定していた。が、しかし、ミュージックビデオの制作は無く、店頭での大体的なプロモーションもなく、結果的に12インチのシングル2枚のみという粗末なものであった。

“Killa Instinct”の発売日が1996年9月24日に決定し、OutkastとDelinquent Habitsとのアルバムプロモーションツアーの間、Raw Breedはアメリカとヨーロッパの雑誌で好印象的な批評が掲載され、新作への期待は高まる一方であったが、レーベルによる突然のプロモーション中止の決定がツアーを中断させた。
アルバムの殆どの曲をレコーディングしたIce-Tのレコーディングスタジオ“The Crachouse”のあるLAにて、通達を確認すると“Carlito's Way”のミュージックビデオの撮影の延期、アルバム発売日の延期にも言い及んでいた。しかし、Raw Breedはレコーディングを続けリリースに向けたラジオ番組の宣伝のインタビューに答えていた。
その間、A&RのHowie Teeとそのスタッフは、実際に起こっている事についての説明はなく、グループは痺れをきかせていた。一ヶ月の沈黙の後に、メンバーの一人 Marc はプロモーション担当者と直接やり取りし、「プロジェクトは棚上げされ、白紙になった。ビデオの撮影は無く、アルバムの発売も無い。この決定はブラックミュージック部門の副代表とワーナーブラザーズの代表、直々のものである。」と伝えられる。彼がクルーの元に戻り、その事実を伝えたが、だれも彼の事を信じる事ができなかった。T.R. Love が責任者に問い合わせたところ、レーベルでは既に周知されており、それは事実であった。

数日後にミーティングにて、 Denise Brown (ブラックミュージック部門の副代表) は、アルバムがネガティブかつ暴力的な内容によりがゴミ箱行きになった旨を説明し、2つの選択肢「アルバム全体を再編し録り直す」、「全く新しいアルバムを一から制作する」があることを告げた。さらに「今まで以上にポジティブなコマーシャルシングルを作ることを約束するならば、ここまでにかかった制作費25万ドルを大目に見て、さらに30万ドルの予算を出す。」という条件を提示した。彼らが途方に暮れるのも尤であったが、最終的に要求を飲み、3枚目のアルバム“Blood, Sweat & Tears”を制作するために予算を使った。この間もビートはハードコアのままであったが、歌詞は検閲を通るように推敲された。(“Killa Instinct”にはペアレンタルアドバイゾリーのステッカーがあるが“Blood, Sweat & Tears”には無い。)

“Killa Instinct”の発売が近づき、Source誌に批評が載ったが、たった2.5マイクしか貰えなかった。ショウはキャンセルされ、資金が入らなくなり、契約が破綻した。レーベルの販売促進のサポート無しでレコードが店に置かれた。その後間もなくグループは解散したし、メンバーはそれぞれ別々の道を歩むことになるが、3人のメンバーは Raw Breed の頃と同様に、友人として親密のままである。

この度の Dust & Dope Recordings によるアルバム“Killa Instinct”の正規リリースに感謝する。そして来る、3部構成となる“Street Instinct”プロジェクトにて、彼らは公式に帰ってくる!“ブロンクスの放蕩息子たち”は、彼らが捨てざるをえなかった物を再び取り戻す用意がある。気をつけろ!彼らの言うとおり“Nobody will be safe”!