ニューヨークの伝説的なレコード・ストアMusic Factoryを回顧する

2007年にFat Laceに掲載された記事の拙訳です。

 

最近のニューヨークへの旅行で、Flat Laceは、伝説のレコード・ストア『Music Factory』が位置していた場所を見つけに行くことにした。単純に懐郷の念に駆られたためである。記者のDan LargeとDrew Hugeが最後に訪れたのは15年前、タイムズ・スクウェアの再開発でMusic Factoryが閉店する1992年のことである。それが、より便利な音楽消費の方法に移り変わるために、レコード収集をやめる前の、聖地への最後の別れだった。

 

Music Factoryは、名高いUltimate Breaks & Beatsやその後のヒップホップの12インチシングルを販売していた店だった。他にも有名なレコード小売店『Downstairs Records』があったが、Music Factoryは取り分けニューヨークのヒップホップコミュニティに愛されていた。そのMusic Factoryの音楽的指導者である店員Stanley Platzerの役割は、月日を越えて頻繁にヒップホップの文献で語られている。今回、私達は2人のヒップホップ界の重要人物達に、彼と店の両方の重要性について追憶してもらった。

 

Aaron Fuchs, Tuff CityのCEO:
”私がLakim Shabazzのレコードを買ったのがここで、それは店内の壁に壁にかけてありました。Fat Stanley(Stanley Platzer)は、ヒップホップに精通していた。Mannieと呼ばれていたイスラエル人がオーナーでした。彼は典型的な商人で、レコード屋をやるまえは、その場所で家電製品を売っていた。Stanleyは耳の立つ男でした。ニューヨークは素晴らしい音楽の発展があった場所で、40年代のマンボ、50年代のR&B、70年代のソウルやファンク、Stanleyはそれらを経験していました。私が彼に「The RavensのWhite Christmasは持ってるか?」と尋ねたら、彼は知っていたのです。それは1953年以降流通していなかったのに。Music Factoryは、昔のエレクトロサウンドから脱却しつつあった西海岸のヒップホップも置いてありました。84年にはEazy EとStanleyが写った写真が飾られていました。N.W.AがNew Music Seminar(音楽フェス)のためにニューヨークへ来た際、ここに買い物に立ち寄ったのです。Stanleyは彼らに東海岸の音楽を教えたのです。”


Psycho Les, Beatnuts:
”私は86年から88年の間、Music FactoryでStanleyと一緒に働いていました。私は万引き防止で店内を周るだけでなくカウンターにも立っていましたので、色んな人々に、ヒップホップやブレイク・ビーツの質問を投げかけられました。DJ Red Alert、Chuck Chillout、De La SoulKeith Sweat、Ultramagnetic MC’s、Biz Markieらの会計をしたのを覚えています。店がタイムズ・スクウェアにあったので近くにラジオ局が沢山あり、彼らもよく店を訪れてくれました。そんなラジオ局のDJが私に音楽の仕事を与えてくれたのです。”

 

fatlacemagazine.com

The Legion 『Theme + Echo = Krill』 SOURCE誌1994年10月号 アルバム・レビュー拙訳

hiphop-thegoldenera.blogspot.jp

 

The Legion
Theme + Echo = Krill

1986年から1988年のヒップホップは、長くヒップホップを聴いている者にとって涙ぐませるような時代だったように思う。その頃のニューヨークが全ての『音楽の街』中でトップであったことは疑いようがなく、そこのラッパー達が過ちを起こすことも無かった。Tower(ご存知の通り、音楽系小売店)やSam Goody(音楽系小売店)の事は忘れろ。リアルな奴らは、Music Factory(1992年にタイムズ・スクウェアの再開発の際、閉店したニューヨークのレコード店)に、最新のブレイク・ビーツやファットなシングルを買いに行かなきゃならなかった。他にはROCK & SOUL(今尚、営業しているニューヨークのDJ向けの音楽系小売店)とか、DL shit(不明)のためにDownstairs Records(音楽系小売店)に行ったりな。Def JamやCold Chillin'や4th & B'Wayといったレーベルが才能をもったアーティストと契約してた頃で、ファンは誰もレコード・レーベルが、大ヒットを狙って、アルバムに大金を投じてるなんて感じなかった時代だ。その時代の特徴はリアルなラップが、死にそに咳き込んだりわけの分からない事をラップするものではなく、慈悲を乞うように囁くようなラップでもなかった点だ。The Rooftop(クラブ)やLatin Quarter(クラブ)のような場所が、素晴らしいライムの品評会の場所だった。ウルトラマグネティックMC's、ラキム、ビズ・マーキー、ビッグ・ダディ・ケイン、ブーギー・ダウン・プロダクションズが、繁華街のクラブのスピーカーを支配していた。そして『ハードコア』とは純粋に詩の投影する世界観やリズムの良いラップでビートを乗りこなす事を意味し、口汚いグロック(ハンドガン)やマリファナの自慢というものでは無かった。

しかし、今となってはそんなものは歴史の1ページに過ぎない。The Legionのデビュー作は、聴く者にそれらの素晴らしい日々を、瞬間的に思い出させようとする意欲作だ。The Rooftopの伝説的なDJ Brucie Bを迎えた曲もある。頭を揺らす素晴らしいビートの数々。Krillは優れた才能に溢れた時代の文体の制限を再現するに留まらず、さらにその先に到達した。前述の少数の傑出した才人を覗いては、コンセプトの一貫したアルバムよりもシングルが主流だった時代であったことを忘れている方々もいるかもしれない。積極性のないグループは、6曲や7曲のEPで充分と考えられていた時代、21曲入りのアルバムの制作を無理に強いられていると感じなかったし、出すことも叶わなかった。Krillは、3人のメンバーの熱意にも関わらず、この問題に大いに悩まされた。

今や、"Jingle Jangle"と2つの"Who's It On"はパーティを盛り下げる事はない。3曲とも、何故ファンキーなビート、気の利いた言い回し、時勢を読んだ物言いとフリースタイルが、この音楽の最も大事な部分であることを証明する完璧な例であろう。CulesとChunky SmashとCee-Lowは、ラップの技術でファンキーなグルーヴを乗りこなしている。ゲストアーティスト、Chi-Ali、Black Sheep、Showbiz & A.G.は楽曲を更なる高次元へと高めている。しかし、"Zootie Bang"や"Rest In Peace"といったアルバムの残りの曲はタイトなプロダクションにも関わらず、シングルは切られていない。テーマに重みを加える物語によって、アルバムを通して何度も聞きたくなる、まるで『エコー』である。

The Legionは、今回のアルバムよりも、むしろ全ての曲がクラブでプレイされるEPの形でのリリースの方が好ましいと思う。現在、ラップは、引き伸ばされたパーティライムとギャングスタの物語ではLPで出すには不十分であるという所まで、ラップは成長してきた。およそ、それは今日のヒップホップ業界の祝福であるのと同時に呪いでもある。どちらにしても、彼らの苦労が黄金期のヒップホップを呼び覚ます助けになることだろう。

DJプリミア、D&Dスタジオでの最後の日に思いを寄せる。

2015年1月にovserverに掲載された、DJプリミアのD&Dスタジオを思い返すインタビューの拙訳です。元の記事には、スタジオ内やプリミアの手の甲に残る歯型など素晴らしい写真が掲載されていますので合わせてお楽しみください。

 

observer.com

 

 

DJプリミアは、ミキシング卓とビートマシンの間の壁に貼られたギャング・スターの歌詞が書かれた5枚の紙を指差す。ナズが彼に「なぁ、もしあなたがここから引っ越すことになった時、それをひとつひとつ破って剥がすつもりか?」と言った夜の事を思い出させる。

約25年後、320西37番通りの4階にある象徴的なD&Dスタジオはその役目を終えようとしている。ラキム、KRS-One、Jay Z、ナズ、そしてギャング・スターがヒップホップの伝説的な曲をいくつも録ったスタジオは、2015年にビルのオーナーの意向で閉鎖されようとしている。

スタジオを最初に経営していたダグラス・グラマとデイビッド・ロットウィンから2003年に買い取り、それを古い友人のケネス“HeadQCourterz”ウォーカー(2002年に殺害された)にちなんでHeadQCourterzと名付けた。DJプリミアはそれがニューヨークのヒップホップの重要な期間の終わりと、彼のキャリアの新たな段階の始まりだったと見ている。

ベテランビートメーカーのD&Dでの最初の仕事は、彼の親密な友人であり音楽のパートナーでもあるグールーとのギャング・スターサード・アルバム『デイリー・オペレーション』だった。それから、何百もの既に名の売れたアーティストや新進気鋭のアーティスト達、ビギー・スモールズやビッグLからフォクシー・ブラウンやクリスティーナ・アギレラまでがブレミアのスタジオのボーカルブースを使った。

「最初はDITCのショウビズが俺をここに連れてきてくれた」48歳になるDJプリミアは金曜の夜、そのでスタジオでObserver(取材したサイト)に語った。「ショウビズはロード・フィネス『リターン・オブ・ザ・ファンキー・マン』のリミックスしていて、俺にその曲のスクラッチを頼んできた。その曲のファイナルミックスをもらって、車で聴いて、このスタジオでデイリー・オペレーションを録らなきゃなって思ったんだ」

「それは忘れられない瞬間だよ」彼はいつも通りに頭を前後に頷きながら加える。「とても大きな思い出がつまってる」

プリミアrは、1月7日までに防音設備と壁に埋め込まれたスピーカーを外し、設備と家具と何百ものレコードをロング・アイランドのカウフマン・アストリア・スタジオに運ぶ予定だと言う。歌詞を綴った黄色の紙が貼られた壁は、新しいスタジオのテーブルになる予定だ、と。

"地獄の厨房"からの引っ越しは、グラミー賞受賞歴のあるDJにとってほろ苦いものである。Jay Zはプリミアに一度、D&Dでの撮影の夜の後に、何も変えないようにと言った。スタジオには、2010年にガンで亡くなったキース・エドワード・エラムもといグールーとの数え切れない思い出ある。近所には、は街頭も歩行者も今より少なかった90年代からプリミアがコーヒーや軽食を買いに行った地元のデリ(惣菜屋)がある。そのデリもD&Dと同様、経営難に耐え名前も変わったが、閉店することはなかった。

「マンハッタンには長くいる。どんどん気味が悪くなっていっている」プリミアは言う。「それに引き換えカウフマンでは、腕を広げて俺を歓迎してくれた。個人的な部分はより良くなる。あなたはそこに行くために実際の門をくぐる必要がある。ここの人々は呼び鈴を鳴らすだけで、いつでもすぐに出て来る。俺は絶対にあれを懐かしんだりしないだろうな」

今月、プリミアとロイス・ダ・5’9”は、プリミアでの最後の録音となったプライムを発表した。現在、スタジオの残した遺産とBルームでPremierのプロデュース、ミキシング、ビートジャグリングに費やした数え切れない時間についてのドキュメンタリーが製作中である。その前に、80年代の終わりにブルックリンに越してきたヒューストン生まれのプリミアは、クラシックのレコーディング、殴り合いの喧嘩、狂いきった夜を経て、繁栄したD&Dの真相を伝えてくれた。

 

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-----現在のお気持ちは?

 

プリミア:私の膨大なキャリアの大半をここで積み重ねた。新しい大家が来たこの状況下で、それが終わろうとしている。賃貸契約が存続を少し難しくしているんだ。最悪なのは、賃貸契約を一方的に終わらせる条項のある2年契約にサインしたことだ。オーナーがビルの改築を決めた場合、立ち退かざるをえない。何回か大家の交代を経験したが、変わったときはいつも「調子はどうです?私達が新しい大家です。家賃は払ってくださいね」って言っていた。過去には、俺達が改装を必要とするならば援助をすると申し出てくれた大家もいた。俺は「よう、もし不便な部分があっても、俺達はずっとここに居た、不便とも慣れっこだよ」って言ったよ。

 

-----D&Dを開業した時の隣人はどんな感じでしたか?

 

その時は、殆どの人がここに2度訪れるのを怖がったよ。ラッパー達がここに来るのを恐れていた。近所ではヘロインやクラックが蔓延していたし、街灯も無かった。9番通りにデリ(惣菜屋)があるが、みんな、未だにそれをクラック・デリって読んでる。けど、今のここは完全に別世界だよ。

 

-----90年代の初めと中期、スタジオの中はどんな感じでしたか?
その当時、ブラック・ムーンとブート・キャンプ・クリックの連中がD&DのAルームに大事な時期を過ごしいた。ずっと居たよ。Jay Zも。彼が部屋を予約する時は、Aルームと後になって建て増しした奥のDルームを抑えていた。一度に3,4曲を仕上げるために閉じこもってた。ジェイとビギーがここでリーズナブル・ダウトのブルックリンズ・ファイネストを録ったのを覚えてるよ。あのビートを作ったのは俺じゃないが、彼らは録る場所を必要としてた。

 

-----スタジオの外では誰とツルんでいたいましたか?

 

グールーと俺はブルックリンのクリントンヒルに家を持っていて、ここに居ない時はそこでワイルドなパーティを開いたものだよ。まるで男子寮だったな。誰か来た時はいつもうるさくて、女の子がいて、飲み物も食べる物も沢山あった。ウータンのRZAにGZAが来てたな。イージー・モー・ビーにスペシャルED…挙げだしたらキリがない。サイプレス・ヒルが「ハウ・アイ・クッド・ジャスト・キル・ア・マン」のビデオ撮影の時にウチに来てた。くつろぐ場所が必要だったんだ。彼らは、ビデオ撮影でアイス・キューブに会いに行くその時まで、ずっと俺達のマリワナを吸ってた。金曜の夜はよく、3区画しか離れてない所に住んでたビギーがウチに来て、グールーと俺と三人で吹かしたものだ。

 

-----今年の初め、あなたはHip-Hop Wiredに、映画『ホワイト・メン・キャント・ジャンプ』用の楽曲を制作する際、ここでグールーと取っ組み合いの喧嘩をした後すぐに作業に取り掛かったと語っていましたが、これは本当の話なんですか?

 

グールーは、その後、あざが出来てて包帯を巻いた。俺にはアイツの歯型がここに、まだ残ってる(拳を指差して)。これはグールーが噛んだ場所だよ。消えないんだ。今は、この歯型を誇りに思う。俺はタフ・ガイじゃないが、必要とあらば相手を投げ飛ばすよ。

 

-----そのような関係が、化学反応を引き起こしたんでしょうね。あなたとグールーが喧嘩することは、普通の事だったんでしょうか?

 

いつも喧嘩していた。その後、すぐに「 I love you.」って感じだよ。そう言うことに躊躇いはない。生き別れた兄弟みたいにハグして、奴は決まって「なぁ、今晩、出かけよう」って言うんだ。アイツは酒と女を追っかけるのが大好きだった。それが仕事と音楽を離れた時のグールーの姿さ。全ての喧嘩を通して、お互いに活気づけあって、それが音楽への肥やしになっていった。俺達が作ったいくつものアルバムを見てくれよ。『ノー・モア・ナイス・ガイ』の頃から喧嘩ばかりだったな。

 

-----多くの場合、どちらが仕掛けるんですか?

 

グールーさ。俺は、ふっかけないよ。いっつもグールー。アイツが酔っ払って、ふっかけてくる。俺達は1989年から1993年まで一緒に住んでて、喧嘩は日常茶飯事だった。けど、奴は今も兄弟みたいなものだよ、永遠に、いつでも。俺達は、完全にロックンロールのような生活っぷりだったけど、成功が伸び続ける事はなかった。何年も、ギャング・スターの売上は下がらなかったし、作品も高水準を保っていた。

 

-----ギャング・スターとは全く異なるものとして、あなたは2006年にクリスティーナ・アギレラの5枚目のアルバム『バック・トゥ・ベイシックス』を共同制作しましたが、彼女はレコーディングのためにここを訪れたのですか?

 

来たよ。彼女はここでアルバムの曲を録りはじめた。他の曲は、カニエ・ウェストに連れられて俺達がレコード・プラント(LAにあるレコーディング・スタジオ)とカリス(LAにあるレコーディング・スタジオ)に出向いて録った。カリスで部屋を借りて、結局、あの部屋に惚れちまったよ。クリスティーナは最初、音が変わるんじゃないかと心配していたけど、俺は全く慌てなかった。俺達は同じ設備を使っていたし、DJとして、既に物事への対処法を心得ていた。

 

-----ナズはあなたに「ここを離れるなら、スタジオを分解する必要がある」と言ったそうですが、計画はありますか?

 

丁度、月曜にナズがここに来て、また同じことを言ったよ。手始めに、ドアを取り外すつもりだ。90年代に俺が初めてAルームからBルームに移動した時、みんなノックしてきたこのドアを。そしてあれだ(ギャング・スターの歌詞が貼られた木の壁を指差して)、あれを切り取ってテーブルにするつもりだよ。あれは、グールーと俺がやった最後の曲の歌詞の抜粋だ。D&Dが廃業した2003年、俺はその約一年後にここを再び開いた。あの歌詞はその頃から壁に貼ってある。D&Dはダグ&デイヴのこと、彼らもこの場所を守りたがっていた。一度、閉鎖されたが、まだ俺達が来れるよう開かれた。このことをビデオに録画するたびにまた来るよ。

 

-----あなたとナズは、コラボレーション・アルバムを製作する予定があるとの噂されていますが、いつ頃、実現しそうですか?

 

ナズが準備出来次第だな。1年前に取り掛かろうとしたが、出来なかった。ナズはデフ・ジャムでもう一枚アルバムを出す契約があるから、それを全うする必要がある。ナズが終わり次第、すぐだな。俺はもう準備できてる。

 

-----今月の初旬、デトロイトのロイス・ダ・5’9”とのグループ『プライム』のアルバムをリリースされましたね。プライムの次回作の予定は決まっていますか?

 

あのアルバムは、とても良くできたよ。全ての曲のビデオを録る事が決まっていて、2月からそれに取り掛かるつもりだ。また、3曲か4曲を追加したデラックス・バージョンのリリースの予定もある。それに携わる人の名前を全て挙げられないが、1曲はMFドゥームが関わってる。45インチのボックスセットとデジタルでリリースされる。

 

-----あなたは1月中にクイーンズのスタジオへ引っ越すそうですが、ファンは、引越し後にあなたの作る音の変化を、期待すべきですか?

 

今後も変わらず、ヒップホップのプロジェクトとそこから広がっていく音楽を制作するつもりだ。カウフマンでは映像関係の仕事を多くやっているようだ。オレンジ・イズ・ニュー・ブラック(ドラマ)やグッド・フェラズ(映画)、コスビー・ショー(コメディ番組)の全てのエピソードといったもの。だから、自分が映像作品にも関わっていくことが可能だろう。やりたかったことなんだ。今までも大分稼いできたが、更に大きな仕事に挑戦したいんだよ。ダニー・エルフマン(ロックバンドのリーダーとして成功してから、ティム・バートンの映画の音楽を手がけるに至った作曲家)のレベルに達したいな。

 

-----最近は、どんな音楽を聴かれていますか?

 

Jコール、ディアンジェロの新譜、ゴーストフェイスの新譜、プリンスの新譜、フー・ファイターズソニック・ハイウェイ』、AC/DC『ロック・オア・バスト』。そんなところだな。

 

-----ヒップホップにおいてあなたの好きな年を3つお願いします。

 

98年と86年、そして俺が高校を卒業した84年。

 

-----過去20数年で、何度インタビューを受けましたか?

 

よう、数えてすらいないよ。俺が出したレコードの数と同じだけだな。幾千ものレコードを出して、幾千ものインタビューを受けた。ここでな。


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夜、スタジオを後にするプレミアを、息子を連れたスーツ姿の男が待っていた。
その男が「プリーム、私の息子と一枚写真を撮ってもらえませんか?コイツはあなたの大ファンなんです」とお願いしている。
既に、シリウスでの2時間のショーへの出演に間に合いそうに無かったが、プレミアは何の躊躇いもなく、慣れたように撮影に応じた。

Rakim - Man With A Gun 和訳

Man with a Gun

Man with a Gun

  • ラキム
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥200

[ Verse ] 

Verse one's about a kid who didn't like the way the Earth spun
ヴァース1は地球の回転する方向が気にくわない子についてだ。
He said it's cursed; so he went and got his first gun
彼は、それが呪われていると言った。だから彼は初めての銃を取った。
He turned savage, took matters in his own hands
彼は一変して獰猛になり、自らの手の中に問題を抱えた。
He said I'm grown, nothing matters; I'm my own man;
彼は言った。私は成長した。何も問題ない。自分で責任を持つ一人前の男なのだから。
Because we don't know how to live but we know how to die
私達は生き方を知らないが、死に方は知っている。
The game of life and no one'll make it out alive
人生ゲームからは、誰も生きて脱出できない。
So I'mma stay in heavy arm and I'mma keep a gun
だから私は重たい武器の中に身を置き、常に銃を携える。
And I'mma beg for dear life when the reaper come
そして、私は死神が現れる時に、親愛なる命を乞う。
Yo, he's a beast, everybody in the streets fear him
「なぁ、あいつは獣だ。」地元に住む者はみな、彼を恐れた。
Thugs won't cross him, cops won't go near him
強盗でさえ彼の前を通らず、警官さえ彼に近づかない。
Nothing could scare him, it's time to try and get rich
彼を恐れるものは何もない、富を獲らんとする時だ。
He robbed his suppliers plus he gets hired for hits
彼は、手下を従え、供給者(ドラッグの仕入先、問屋)を略奪した。
Now the mice want his bread, it's the price on his head
今、ネズミ達(少年が略奪して金を持っている事を知る者)は生活の糧を欲している、彼の頭にかかった値札。
And everybody that he didn't like want him dead
彼が好まなかった者はみな、彼の死を願った。
I guess he knew the same streets you rep on
私は、彼がナワバリとする通りが、
Will be the same streets you meet your death on
自分が死神と出くわす通りになると知っていたと思う。

[ Hook ]

I used to be a stick-up kid
私は尖った子供だった
So I think of all the devious things I did
私が行った道を外れた行動を思い起こす

 

[ Verse ]

Verse two is how a little dude flipped, and grew too quick
ヴァース2はある小さな男がいかに狂っていたか、だ。彼の成長は急速すぎた。
He did some rude shit and got his hands on two bricks
彼は【無礼な?】行動を行い、2つのブリック(直訳:煉瓦、コカインが煉瓦程のサイズに袋詰にされたもの)
Bought the new fifth, with the extra two clips
新しい5番目(コルト45、ハンドガン)を買った。さらに予備のマガジンも2つ携えて。
Put together two cliques and took over two strips
2つの派閥を一つにし、数区画先でドラッグを売り歩いた
Dude glued chips, new kicks and new whips
男は金の亡者だった。新しい靴、新しいクルマ
Knew tricks, got two kids by two chicks
女を知り、二人の女に一人ずつ子供を産ませた
But he blew too quick, they said he shoot too quick
しかし、彼は血の気が多すぎた。誰もが「奴はすぐに銃を抜く。」と口を揃えた。
Too slick, but the cops are deep, but he got beef
ずる賢かったが、警官たちも馬鹿ではなく、目を付けられた。
He said "I gotta hit the block for my needs"
彼は「金のためならば地元ですらドラッグを売る」と言った。
But I'mma leave the block 'cuz this hot cop is watching the streets
しかし、警官が通りを監視しているから、地元を離れたい
Made a couple stops at the spot and bought trees
幾つか拠点を作って、マリファナの苗を買った。
He copped a new uptown patent leather Dashik
彼は繁華街に新しい家を借り、Dashiki(アフリカのカラフルな民族衣装)を着る(改心してハスラー稼業から足を洗った、とも)
Too sick, now let me hit the hood
病みすぎていた。私に地元に寄らせてくれ。
To stop by and make sure the kids are good
子供達が元気にしているかどうか見るために車を停めた。
That's when the man ran up on him put the gat in his face
その時、ある男が彼に走り寄り、彼の顔に銃を向けて言った。
Said "Remember me from back in the day?"
「俺を覚えてるか?」と。

 

歌詞参照元

genius.com

“Music Is My Character”: K-Def 和訳

主に、K-Defの2011年にリリースされたインストアルバム"Night Shift"の当時を語るインタビュー形式の記事の拙訳です。

参照元

medium.com

“Music Is My Character”: K-Def
Night Shiftの制作過程を分析

ベテランプロデューサーはJay-ZのリミックスコンテストからRedefinition Recrds設立までの彼の経験を紐解く。

Lords of The Undergroundの"Chief Rocka"や"Funky Child"、Dr. Dre Presents the Aftermathにてサンプリングされた"Real Live Shit"をはじめとする影響力のある作品を連発した90年代を過ごした後、ニュージャージー出身のK-Defは1997年から2001年の間、音楽産業から遠のいていた。2000年代半ばの復活は、GhostfaceとJayo Felonyへの共演作へと繋がった。しかし、外部の境遇がラップ界からの暫くの離脱を齎した。

2007年に、彼がJay-ZのAmerican Gangsterを聞く時まで、そのベテランプロデューサーはそのスタイルがまだ音楽産業において通用するか、既に過去の物となってしまったのではないか、と自問自答していた。いちかばちか、その答えを知るためにJay-Zのアルバムのリミックスコンテストに応募することに決める。「私は身近な者達に言ったんだ。『見とけよ。やってみるがこれで何も感じなかったら、音楽はスッパリやめる。』と。」彼はみんなを驚かせた。彼のリミックスはトップ5の最終選考に残り、西海岸、ロンドン、日本のアーティストから高評価を得た。

Jay-Zのリミックスコンテストでの経験が彼に新しい活気を与えたが、それまでのラッパー達との宣伝活動に多くの時間を費やし、アルバムの総指揮に試行錯誤することにウンザリしていた。そして、彼はまたプロデューサーとしての存在感を知らしめるために、伝統的なサンプリングとスタジオで培った経験を活かす方向性への覚悟をつける。「この20年間は、機材や巨大なスタジオを扱う、厳しい機械のような男だった。」と自分を説明する。「私には、エンジニアとして培った力で、どんな音が鳴るかを感じ取れる基礎がある。」

20年にも及ぶスタジオの扱いによって熟達した経験で、K-Defは自らの知識を最新のテクノロジーにも応用していった。「年を取るにつれ、Cubase(スタインバーグ社のミュージックシーケンサー)と恋に落ちていった。」Cubaseは彼のお気に入りのままである。プロデューサーの創造性を実現する新しいツールが出ると何でも挑戦することに、K-Defにはプライドを感じている。「これからも、新しいものが出れば何でも試すつもりです。もし、自分が気に入れば、それを使うでしょう。そうでなければ、ゴミ箱に捨てます。」

エンジニアとしての技術と専門的な知識が合わさった、レコードのそれぞれのパートを部分的にサンプリングする能力によって、驚くべき量の楽器のサンプル素材のライブラリーを築いた。「私には、2000年代初期から集め始め4テラバイトにも及ぶ、きっとあなたも欲しがるであろう、素晴らしい楽器のサンプル素材があります。」

技術的な腕を鍛え、音楽のライブラリーを築き、2006年から2010年の間に素晴らしいインストアルバムを複数、世に出してきた成果が最終的にRedefinition Recordsとの関係に繋がるのである。このレーベルで10作以上をリリースしてきたが、レーベルでのデビュー作品、2011年のNight Shiftは彼にとって未だに特別な作品である。音楽的な質と、個人的な裁判と、また別の苦難で、彼は創作活動で困難を極めることになる。「その時期に、私は兄弟を失いました。私の母は、彼の死で酷く落胆し疲れ果て最終的に病気を患いました。あの頃は、明日がどうなるか全く分からない状況でした。私にとって母もまた大切な人なのですから。」

また、Night Shiftのトラックの多くで薄暗い雰囲気を感じるのは、アルバムが出来上がった背景が影響している。「アルバムの大半を屋外で制作しました。夏、冬、秋の事です。私はよくバルコニーにノートPCとヘッドフォンを持ち出してそこでタバコを吹かしながら作業していました。日が暮れ肌寒くなってくると、家の中では吸えないので、外でタバコを吸います。それが暗さの要素でした。」

K-Defにとって、その事が、人生で経験したすることの反射がアルバムになるのだと理解した。「音楽が私の個性です。感情的に経験したり、感じたり、考えたりしている物はいつでも、私の音楽に現れます。」

Night Shiftの大半はインストであるが、アルバムの序曲"Escapizm"(K-Defが敬意を払うことを惜しまないPete Rock & CL Smoothの楽曲"Escape"のカバー曲)では、その楽曲を制作している事を知ったRob-O(Pete Rockと長い間、共同制作していたラッパー)がラップを加える機会に恵まれる。「私自身、Pete RockとRob-Oの作品が大好きでした。Rob-Oからアルバムに参加したいとの申し出があった時に、既にライムを書いていたなんて知りませんでした。しかし、それが素晴らしくて、アルバム全体の雰囲気に見事に合っていたのです。」

"Escapizm"での、彼の誇りをかけた挑戦は、Pete Rockの天才的な原作を想像させてしまわないようにすることだった。「オリジナルの"Escape"は誰にも触れられない高みにあります。どうやってあのハイハットを鳴らしたのか、どのようにBretheren "Outside Love"のドラムにフィルターをかければあの音が鳴るのか、どうすればあの風合いを醸し出せるのか。」

プロデューサーは何人たりとも困難なジレンマから逃れられない。K-Defはサンプリング素材に手を加える新しい方法を見つけるために、深く掘り下げた。「私はトリックを超えたトリックを使います。あなたが入念に聴いたレコードでも、部分的に再生させる事ができます。フィルターは使いません。普段通り再生しつつ、しかしホーンだけ取り除いて再生することができる。もちろんステレオで。」彼は、元のサンプルに新しい手触りと活気を与えることができるという能力は、やはりエンジニアとしての経験から来るものだとしている。「私には他の誰にもできない事ができる。」

K-Defの個人的なお気に入りは"Supa Heath"と、Raw Poeticのラップがのった"Night Owls"、もしくは"Bird Flying High"だと言う。彼は、Night Shiftはドライブ中に聴くことを勧めている。そしてNight Shiftからのリリースは2桁にも及ぶが、まだゆっくり休憩するつもりはないようだ。「永遠に終わることはない。創造性と着想は無限にある。私達の周りのテクノロジーに関しても。」

ニュージャージー生まれのこのプロデューサーはシーンを25年以上見てきたが、未だ音楽への活気と熱意は、始めたころと変わらない。「年はとったが、自分の魂には若さを感じている。」と彼は語る。

Artifacts - Between a Rock And A Hard Place アルバムレビュー和訳

The Source誌1994年9月号に載ったArtifactsのデビュー作Between a Rock And A Hard Placeの拙訳です。歌詞引用の部分を省略しまたこと、ご容赦ください。

 

参照元

hiphop-thegoldenera.blogspot.jp

 

もしあなたが、ヒップホップの中でも特にブーンバップに目がないタイプなら、このArtifactsのアルバムは、7.99ドルに見合う価値があるだろう。これまでArtifactsは、Tri-State Area(ニューヨーク州ニュージャージー州コネティカット州)のラジオコミュニティの外では、殆ど知られていなかった。去年のNubian Crackersのシングル"Do You Wanna Hear It?"での客演で、Tri-State Area以外のリスナーにも認知されはじめ、今に至る。

ヒップホップの6つ目の自治区ニュージャージー州ニューアークから舞い降りたTame Oneと彼のパートナーEl Da Senseiは、押韻とグラフィティの世界で、並々ならぬ才能を発揮していた。ライミング技術は特筆すべきものがあるが、主題は普段のbitch-baiting、大麻をくゆらせる事など有り触れた話題である。が、しかし、彼らのラップによって曲は今までに聞いたことないようなものになっている。加えてBuck-Wild、T-Ray、Redmanらによるミックスプロダクションよって、このアルバムが音楽的にも詩的にも革新性で満たされていることは言うまでもない。

先行シングル"Wrong Side Of The Tracks"でTame Oneは「深い闇のように黒さは、カバンに詰めたMagnum(油性ペンの銘柄であり、銃のことではない)のよう」と自身を説明しつつ、グラフィティの世界をラップしている。今日の多くのMC達が、作品を支える素晴らしいプロダクションに恵まれながらそれを活かせていないが、Artifactsはどんなトラックでも雰囲気を掴み、しっかり噛み合う詞をラップしている。T-Rayがプロデュースした"Dynamic Soul"では(歌詞、中略)

NasやJeru The Damajaのシーンを賑わせるリリースに囲まれたさなかであるが、Artifactsの"Between A Rock And A Hard Place"を手にとってみてはどうか。ArtifactsがAirport '76よりもリスペクトを得ることに成功するのと同様に少しのガッカリがあるが。

MF Doom インタビュー 和訳 (4080 Magazine 1994年)

1994年に4080 Magazine誌に掲載されたZev Love X(MF Doom)のインタビューの拙訳です。この年に発売される予定であったBlack Bastardsについて言及されていますが、発売中止に関することには触れられていないので、レーベルによる発売中止が決定される前の段階のインタビューなのでしょう。

 

参照元

hiphop-thegoldenera.blogspot.jp

 

去年の春、ニューヨークに拠点を置くKMDのメンバーSubrocの死にファン達は驚き悲しんだ。Subrocが死んだ時、彼の兄弟Zev Love Xはセカンドアルバム"Black Bastard"の最後の処理を終えたところであった。しかし、それから早くも1年が過ぎ、現在、アルバムは発売間近である。私は今、インタビューするためにElektraの会議室でZev Love X(Doomとしても知られている)を待っている。彼は二人の取り巻きと、40oz(ビール、Old Englishという銘柄の40オンス瓶)を携えて定刻通りに現れた。彼はインタビューに答えるのは、前作"Mr. Hood."以降、初めてだと語った。大麻を吸ってハイになっているように見えたが、少し緊張しつつもインタビューを精力的に受ける姿勢を感じた。

私達は、1990年のデビュー以来、KMDの辿った劇的な変化についての話し合いを始めた。最初、K.M.D.(Kausing Much Damagedの頭文字)は3rd Bassファミリーの一部で、荒廃した社会(much damaged society)のストロングアイランド出身の3人組グループであった。彼らは、5パーセンターの同志、Brand Nubian同様の革新的なジャズ/ファンクのトラックを特色とし、"Peachfuzz"、"Who Me"、"Nitty Gritty"はヘッズの頭を揺さぶり、アンダーグラウンド的な人気を博していた。が、オリジナルメンバーの一人Onyxは既にグループを脱退していた。私はDoomにOnyxと何があったのかを尋ねると、彼はその話題には口を閉ざしたが、笑いつつ「所謂、方向性の違いだよ。」と答えてくれた。

Subrocの死に話題を移すと、彼は不快な素振りこそ見せず「Subrocは車に跳ねられたんだ。事故が起きた時には一緒ではなかった。」と語ってくれた。Subrocの死までにどれくらいアルバムが完成していたのか尋ねると「最後の2曲のミックスが残っていた。その内の一つ"Constipated Monkey"は、Subrocのヴォーカルを録っている最中だったように思う。その曲にはSubrocのヴァースが部分的に入っている。作業は大詰めに入っていたから、アルバムの制作が中断されることはなかった。」と語った。

私は更に質問を重ねた。Subrocの死によってアルバムをリリースするか否かを考えたことは?「いや…今はすぐに出したい。この気持が正しく伝わって欲しいが…このアルバムの制作に2年以上、専念してきた。だから、今は発売されるのを喜ばしく思っている。」

"Black Bastard"は歌詞執筆、楽曲制作、アレンジ、ミックスの全てがDoomとSubrocによるものである。Black Bastardは疑う余地なく、ファーストアルバムを上回る出来に仕上がっている。新作のコンセプトは、Gylan Kainの最新のどんよりした詩のアルバム"Blue Guerilla"から拝借されている。KMDは、この作品から多数のヴォーカルと根本的方針をサンプリングした。Doomは「"Blue Guerilla"を聞いた時に、是非、自分の作品に取り込みたいと思った。この作品は私の目を見開かせた。この作品は地獄のようにリアルだった。この男がBlack Bastards「黒い馬鹿野郎達」と言った。白か黒のどちらかに合わせようとする黒人の事だ。自らの家系を受け入れない人々。それらが馬鹿野郎達。大体の人々は常に間に入ろうとしている。黒人と白人は、私達は誰なのか、私達は最初何だったのか、それらを悟りさえすれば一緒に寄り添うことができる。」

それらの説明から私は、Doomが沢山の考えをこのアルバムに込めた事を理解した。早いビートの上でヴォイスサンプルがコラージュされた"Garbage Day 3"。この曲に関してZevはこう語る。「この曲にはSubrocが出て来る。2枚のアルバムの間の3年間の考えだ。今日までの全ての年が象徴的だった。全て、私達がどんなクソみたいな日々を過ごしてきたかを説明している。クソ野郎が…。」

"What a N**** Know" や "Sweet Premium"といった酒に酔うこと関した曲もある。私はワインを飲むこととビールを飲むことで違いがあるのか尋ねた。「Old English(前述のビール)は濃くて最高だ、メーカーが何を入れてるのか知らないが。Kosher wine(ワインの銘柄)は少なくとも蒸留されてるだろ?飲めば分かるさ。」酒を置いて彼は大麻を吸うことについて話し始めた。実際、"Smokin' That Shit"、"Contact Blitt"、"Suspended Animation"の3曲は、大麻への熱愛を歌っている。

彼は言う。「"Contact Blitt"は実際にカリフォルニアツアーの時にあった話だ。俺達はDe La SoulのツアーにBrand NubianとLeaders Of New Schoolと一緒に参加していた。バスの車内が煙たすぎて運転手はそれ以上運転できないといって、運転を拒否してきたから、500ドルのチップを払って次の目的地まで運転してもらったんだ。曲を聞いてくれれば分かるが、その事が元となってできた曲なんだ。今、思い出して悪かったなって思えてきたな。」

Doom大麻を吸うことで緊張がほぐれ、ライミングするときにラップに集中できると語る。「吸ってみたらどうだ?気分を良くするために手段なんて、そんなにないだろう?毎日のストレスに対して、自分を高めておくための手段。」

Doomは話すのを終え5分前に火を点けたタバコの煙をグッと吸い込んだ。彼曰く「タバコは厄介だよ。みんな、吸うのをやめてくれと言う。」私がタバコを吸う理由を尋ねると、タバコを一旦置き「分からない。タバコが厄介だからだよ。悪い癖なんだ。奴らは黒人にNewport(タバコの銘柄)を売って、黒人はその罠に引っかかる。ニコチンはストレスを払ってくれるけれど、本当に厄介だ。」

Doomがタバコを消すと、取り巻きがブラントを巻き始めた。インタビューの時間が終わりかけていたので、止めはしなかった。